1990's Heritage

Lotus Carlton1990 The Lotus Carlton

伝説的なロータス・カールトン(イギリス国外ではロータス・オメガ)が発売されました。この車は基本的にはカールトン/オメガGSiを完全にバラしてロータスがビルドし直し、世界一速いサルーンカーに仕上げたものです。かなり卓越したスペックで、3.6リッターの24バルブ直列6気筒エンジンにターボチャージャーが2つ付いたこの車は出力277bhp、トルク419lb ftでした。雑誌による走行テストではロータス・カールトンは最高時速が174mphで、60mphへの加速が5,2秒、100mphまでの加速はわずか11.5秒でした。

アメリカではワークスがサポートしたチームの3台のエスプリ・ターボSEが“ショールームストック”レースシリーズに登場しました。若干9回のレースで、チームは優勝4回、ポールポジションを6回、最速ラップ6回を記録し、マニュファクチャーズ・チャンピオンシップでは2位を獲得しました。

ビジネスのエンジニアリング面においては、運輸大臣のセシル・パーキンソン男爵がヘセル工場に200万ポンドを投じて新規の半無響室を開設しました。

1991 Elan wins award

Elan

エランは英国デザインカウンシルの賞を受賞しました。チーム・ロータスはピーター・ライトとピーター・コリンズ率いる新たな企業体の所有となりました。ピーター・コリンズはベネトンとウィリアムズの両方でチーム・マネージャーを務めた経験がありました。チーム・ドライバーはジュリアン・ベイリーとミカ・ハッキネンで、ジョニー・ハーバートがオフィシャルテストドライバーを務めていました。 俳優のポール・ニューマンが新しい91年度スペックのエスプリレースカー3台のうちの1台に乗り、アメリカのショールームストックシリーズに出場しました。

M200

エランをベースにした未来のコンセプトカーのM200が9月のフランクフルト・モーターショーで話題を呼びました。その翌月にはエスプリのラインアップ変更が発表されました。

1992 Go for Gold

Lotus bike

クリス・ボードマンがバルセロナオリンピックにおいて4000m個人追い抜き種目で金メダルを獲得しました。彼はロータスの開発した画期的に軽量なエアロダイナミックカーボン合成モノコック自転車に乗っていました。その後彼はロータスの“スーパーバイク”に乗り、8.0秒以上の差をつけて5000mの追い抜きで世界記録を達成しました。

Esprit Sport 300

もうひとつスポーツ分野では、ドク・バンディがSCAA(Sports Car Club of America)の“公道仕様の車”部門のワールド・チャレンジにおいて、スポーツ・エスプリX180Rでドライバーズ・タイトルを獲得しました。X180Rはアメリカで競技用に限定生産された車でした。この年の暮れにはこの車を元にロータス史上最速のエスプリ・スポーツ300が開発されました。この車はイギリスとEU内のみで販売されました。

SID concept

ロータス・エンジニアリングは、会社の実験的技術を示すような桁外れの“SID(構造分離力学)”を使った車の研究に没頭していました。その研究の一部と“ロータス・アクティブ”サスペンションがアルヴィスのスコーピオン戦車に使用されました。この技術とトラックの張力装置との組み合わせで、スコーピオンは高速走行中も銃が固定され、乗組員が揺れでガタガタにならずにすんでいます。

1993 Bugatti ownership

Esprit S41990年に設立された比較的新興の会社のイタリアのブガッティ社がジェネラル・モーターズからロータスを買い取りました。この会社はエットーレ・ブガッティが1924年に設立したブガッティ社と名前だけが同じ会社です。 ロマーノ・アルティオーリはブガッティ・インターナショナルの20%の株式を所有し、残りの株式はルクセンブルグの持ち株会社であるACBNホールディングスS.A.が所有していました。アルティオーリはグループ・ロータスの実質的なCEOになりました。エスプリS4は外観のマイナーチェンジを行い、パワーステアリングを標準装備にするなど、いくつかメカニカル面で改良を加えました。5月にエスプリ・スポーツ300が生産体制に入り、その翌月にはその内の2台がルマン24時間レースで完走しました。

ワークスは30年ぶりにルマン出場をサポートしました。

台湾の政府が新型のファミリーカーのエンジンデザインをロータスに発注したことは、ロータス・エンジニアリングにとっては嬉しい出来事となりました。

新型のロータス・スポーツ110ロードバイクは、チームONCEで過酷なツール・ド・フランスに登場し、デビューを飾りました。

1994 Elan S2

Esprit S4SエランS2がジュネーブ・モーターショーで公開されました。16インチのホィールとタイヤのパッケージで、サスペンションにもさらに改良が加えられていました。エランS2は800台のみの限定販売でした。また新型エスプリであるS4Sも登場しました。この車は300bhp(244kW:304PS)で、新しいホィールとタイヤが装着され、サスペンション設定も変更されていました。

There was a fresh Esprit derivative, too, the S4S, complete with 300bhp (224 kW; 304 PS) , new wheels and tyres, and revised suspension settings.

Esprit S4 Police CarエスプリS4の「警察車両」も生産されました。法律を避ける必要がないことを実証したのです。

イギリスの輸送トラスト(Transportation Trust)の資金集めのためのチャリティで、カーボン合成の量産自転車ロータス・スポーツ110の最初の1台がサザビーズのオークションに出品されました。この年は自転車で忙しい1年となりました。6月にはボードマンがロータス・スポーツ110に乗りツール・ド・スイスの30kmステージで優勝し、7月にはツール・ド・フランスのプロローグである個人タイムトライアルの平均時速で新記録を出しました。彼はまた、シチリアでの世界選手権の4km追い抜きと30kmのロードレースの両方で優勝してシーズン終了を迎えました。

レーストラックでは、イギリスGT選手権でトーキルド・ティーリングがエスプリ・スポーツ300で優勝しました。

1995 Team Lotus disbanded

F1シーズンの始めに経費の高騰によりチーム・ロータスが解散に追い込まれ、ロータスの歴史において重要な章が終焉しました。

Esprit GT22月にはイギリス国内のスポーツカー耐久レースへの全面的な参加を検討するためにロータスのGTレースプログラムが社内で検討されました。ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディとアレックス・ポートマンは非常に競争の厳しいGT2カテゴリーにおいて苦戦しましたが、エスプリには十分な競争力があることを証明しました。シルバーストーンのブリティッシュ・エンパイア・トロフィー4時間耐久レースでは、チームはクラス表彰を受け、全体では4位で完走しました。

 

 

Britt Ekland, Princes Trust Elan

ロータスは3月に5万台目の車を生産し、その記念に、元ロータスオーナーで映画スターのブリット・エクランドとイギリスの新聞社の協力のもとに、チャールズ皇太子の運営するプリンス・トラストにエランS2を寄贈しました。エランS2は6万5000ポンドの値がつきました。1995年の8月にはS2の限定車の生産が終了しました。アメリカのカリフォルニアで行われたモントレー・ヒストリック・オートモービル・レースではロータスがメーカーとしてフィーチャーされました。世界中のロータスのファンがロータスの光り輝くF1、インディ、スポーツ、ロードカーの展示を一目見ようとこの有名なイベントに参加しました。

 

 

Elise Mk1 1995この年の最も重要なイベントは、フランクフルト・オートショーで(会長のロマーノ・アルティオーリの孫娘の名前にちなんで名付けられた)エリーゼが初公開されたことでした。プレス関係者や一般の来場者が驚いたのは、エリーゼがただ可愛いだけではなく、技術的にも進んでいて、非常に軽量なことでした。エネルギーを吸収する合成シャーシは、世界で初めて押し出しアルミをエポキシ(樹脂)で接着させており、押し出しアルミサスペンションアップライトとアルミのメタルマトリックス・ブレーキ・ディスクも世界初でした。この車はわずか2万ポンド弱の値段で息をのむような性能(0-60mphを5,8秒)を約束する車でした。

1996 Proton majority shareholderProton Logo

Perusahaan Otomobil Nasional Bhd(プロトン)がACNNホールディングスS.A.(ブガッティ・インターナショナルの持ち株会社)からグループ・ロータスplcの株の80%を取得したと発表しました。

Esprit V8この買収はプロトンによると、商品開発とエンジニアリングにおけるロータスのノウハウ、そして独占的な特許権とプロトンの生産能力が合体し、両社にとって利点があるとのことでした。3月1日にフランスのポール・リカール・サーキットにおいて新型エスプリGT1レーサーが初披露されました。エンジンカバーの下にはまだ秘密だったロータスV8エンジンが潜んでいました。その4日後に秘密が開示されました。175mphのエスプリV8ロードカーがジュネーブ・モーターショーでデビューしたのです。新型のロータスデザインの非常にコンパクトな3.5リッターV8エンジンはツインターボで、350bhpの印象的な出力を誇るだけではなく、ピーク時のトルクが400Nmで、トルクカーブが非常にフラットでした。新しくなったのはエンジンだけではありませんでした、新型エスプリには新たなABSコントローラーをフィーチャーした改良されたブレーキと新しい真空サーボ・システムが搭載されていました。

 

 

Esprit S4 GT3

Elise Mark 1

The Living Logoロータスのスタッフはチャップマンが所有し、チーム・ロータスがレーシングカーを開発するベースとしていたケッターリンガム・ホールにロータスの“生きたロゴ”を作りました。

1997 1000th Elise

Lotus Test Cells 1997

エリーゼはロータスが期待していた以上のヒットとなりました。5月中旬に1000台目のエリーゼが生産されたのです。生産量の見直しが必要となり、当初予定していた年間800台から年間2500台に引き上げました。 2つの魅力的なエリーゼのバージョンも発表されました。最初のものは研究プロジェクトでザイテックの電気モーターを使った車です。2つめはトラック・デイのパワーマシーンとして設計されたスポーツ190です。大規模な新型エンジンの製作や開発プログラムを進めるために、ロータスは750万ポンドを投じて19の最新鋭のテスト用の部屋を新たに開設した(ヘセルで計42となりました)と発表しました。

さらに7月には150万ポンドをかけた新規の塗装工場がマレーシアの国王と王妃の手によりオープンしました。ロンドンのモーターショーではインテリアを一新し、ギアボックスとクラッチに改良を加えたエスプリV8が公開されました。エスプリのシンプルなバージョンのV8GTも発売されました。

1998  50th Celebrations

340Rエリーゼはデザインカウンシルによって名誉ある“ミレニアム・プロダクト”に選ばれました。そしてグループ・ロータスは、ヨーロッパで最初に世界的にもっとも厳格な品質管理システムであるQS9000(品質システム9000)を取得した会社のひとつとなりました。

9月にロータスはヘセルで50周年を祝うパーティを開催しました。世界中から1万2000人以上のスタッフ、ディーラー、クラブメンバー、ロータス車のオーナーたちが集結し、素晴らしい一日を過ごしました。そしてテストトラックには2000台以上のロータスの車が勢揃いして駐車されていました。

10月のバーミンガムのモーターショーでも祝賀ムードは続いていました。ロータスがとても魅力的な340Rコンセプトカーを公開したのです。

軽量で大きなブレーキを搭載したエスプリ・スポーツ350が、ドラマチックな限定車として発売され、エリーゼ・スポーツ135も発売されました。しかしながら、工場ではわずか50台が展示用に作られ、パーツはすべてアフターマーケットで販売する形態をとりました。

Esprit Sport 350

1999 Back into motorsport

Elise 111Sロータスは3月にジュネーブ・モーターショーにElise 111Sを出品しました。1.8リッターのKシリーズVVCエンジンの145PSバージョンです。このスポーティな車はクロスレシオのギアボックスを搭載し、ハンドリングを強化しています。ヘセルのロータス工場で生産体制に入る予定のオペル・スポードスター/VX220コンセプトも発表されました。
VX220

ロータスはまた340Rも(340台のみの限定生産で)生産されることを発表しました。

ロータスがモータースポーツ用に開発されたスポーツ・エリーゼをベースに、独自の画期的なワンメーク・レースシリーズで再びモータースポーツ界にカムバックするというニュースも大歓迎されました。ロータスのヘセル本社にあるテストトラックの大掛かりな再設計と同時に8月にロータス・ドライバー・トレーニング・エクスペリエンスが開設されました。また同じ月にはプロトンが印象的なサトリアGTiホットハッチを発表しました。ロータスはこの車のクラス最高峰のハンドリング性能を実現するために重要な役割を果たしました。

M2501999年にロータスはエリーゼとエスプリのラインアップの間に入る新たなミニスーパーカーのコンセプトを発表しました。

プロジェクトM250という名称で、250hpで3リッターのV6エンジンを搭載した車です。 ロンドンのショーではオペル・スピードスター/ボクスホールVX220をロータスがジェネラル・モーターズに代わってヘセルで生産するという発表がありました。生産は工場の新たな施設で行い、それによってロータスの年間生産可能台数は1万台に達することになりました。