1960 THE MID-ENGINE PRINCIPLE
& LOTUS' FIRST GP WIN
勝利することに重点を置き、チャップマンは成功を収めていたクーパー・レースカーのミッドシップエンジンのレイアウトを採用し、改良を行いました。Type16よりもずっとシンプルになったType18はF1、F2の両方でとても競争力のある車で、レースに参戦していたほとんどの車が模倣したほどでした。ロブ・ウォーカー・チームのスティーリング・モスは、モンテカルロGPにおいてType18で勝利を収めました。ロータスの輝かしいグランプリ優勝の歴史の中で、これが記念すべき初勝利となりました。
大型のスポーツレーサーのType19がType18を元に開発され、アメリカでは同クラスで市場を独占しました。

1961 THE LOTUS 20 & 21
ロータスのジュニア・レーシング(フォーミュラ・ジュニア)での優位性を保つために、チャップマンはType20を開発しました。パーツはほぼType18と同じものを使用し、それを小さなボディに収めたType20は、瞬時にトラックで注目を集めました。
FIRST
チーム・ロータスの“やればできる”という姿勢を立証するようにType21は1961年のフォーミュラ1のシーズンに間に合わせるために、わずか6週間で設計され、完成しました。Type21はリクライニング式の運転席を採用した最初のF1カーでした。また、この車はアメリカのワトキンス・グレンでイネス・アイルランドが1位を獲得し、チーム・ロータスにグランプリ初優勝をもたらした車でもあります。
1962 FOUR RACES & ONE ROAD CAR
ロータスは普通の(スペースフレームの)シャーシの車であるType24を62年のF1シーズン始めに導入しましたが、この車はすぐに先鋭のType25によって影が薄い存在となってしまいました。
FIRST
今までの常識を覆し、Type25は画期的な応力外皮の“モノコック”シャーシ設計を使用した最初のF1カーとなり、チャップマンの優秀なエンジニアとしての評判を裏付けました。初年度には才能あるジム・クラークの手でF1レースに4回優勝し、最後のレースで惜しくもチャンピオンシップを逃しました。
TYPE 26
Type26 ロータス・エランが発表され、瞬く間にスポーツカーのお手本として認識される存在となりました。この車はその卓越したデザインと人気でその後11年間生産されました。
1963 THE YEAR OF THE CORTINA & F1 SUCCESS
チャップマンは初めてインディアナポリス用の車、Type29を開発しました。パワーウェイトレシオが1トンあたり800bhp以上のこの車が世界一強力なレーシングカーであるとロータスは宣言しました。インディ500で、28周リードを保ち、ジム・クラークは2位でゴールしました。
ロータスはType28ロータス・コルティナを開発し、フォードがイギリスサルーンカー選手権で優勝する手助けをしました。
WIN
Type25でジム・クラークがハンドルを握り、ロータスは、初めてF1でコンストラクターズ・チャンピオンとドライバーズ・チャンピオンのタイトルを手にしました。また、10レースのうち7レースを制したクラークにとっても、これが初めてのドライバーズ・チャンピオン獲得となりました。両方のタイトルのポイントは当時の最高ポイントでした。
1964 THE TYPE 33
ロータスはType30をグループ7レーシングのために初めて設計、開発しました。Type31、32、そして33も開発されました。これらの車は、それぞれがフォーミュラ3、フォーミュラ2、そしてフォーミュラ1のために開発されました。
Type33は、モノコックのType25の進化形でした。

1965 MORE F1 SUCCESS & INDY 500 WIN
才能豊かなジム・クラークがチーム・ロータスに再びコンストラクターズとドライバーズの両方でのF1チャンピオンのタイトルをもたらしました。今回はType33での優勝でした。 クラークはアメリカの有名なインディ500レースでもType38で、最初からほぼずっとリードを続け、平均時速150.686マイルの新記録で勝利しました。
公道ではType36ロータス・エランのFIXED HEADクーペも、ロータス初めての“高級”クーペとしてデビューしました。
1966 MOVE TO HETHEL, NORFOLK.
この年、ロータスはノーフォーク州ヘセルの専用工場に移転しました。55エーカーの元々は米国空軍の土地だった場所に工場を建て、昔の滑走路は2.5マイルのテストトラックへと改装されました。このトラックでは、後に世界最高のレースカーやロードカーが何台も世界有数のドライバーによりお披露目されてきました。
改良されたType45エランS3のドロップヘッドもデビューしました。また、ミッドシップエンジンのヨーロッパ(Type46)のロードカーも続いてデビューし、そのハンドリング性能でマスメディアから大いに賞賛を浴びました。ヨーロッパが生産体制に入った直後にType47の開発が始まりました。フォード・コスワースのエンジンのレースバージョンです。Type47のハンドリングで苦労したにもかかわらず、ジム・クラークはインディ500で2位を獲得しました。
FIRST
Type43はランスでデビューしました。この車はエンジンを構造体の一部として使用した最初のF1カーでした。しかしながらこの車はBRM H16エンジンに問題があり、F1での優勝はアメリカのワトキンス・グレンでの1回のみにとどまりました。
1967 THE LEGENDARY COSWORTH-FORD DFV V8
Type49のフォーミュラ1レーサーは、伝説のフォード・コスワースDFV V8エンジンを搭載した最初の車となりました。このエンジンはその後F1シーンを10年以上に渡って独占しました。ジム・クラークはダッチGPを49で勝利し、その後の11回のグランプリレースでポールポジションを獲得しました。
シャーシが長く、ボディワークが異なる、大型のType50エラン+2が生産されました。後ろの席に子供が2人乗れる大きさの車です。
1968 THE LOSS OF JIM CLARK
TRAGEDY
1968年はチーム・ロータスにとって悲劇の年でした。4月7日にホッケンハイムのF2レース中に才能ある英雄のジム・クラークが事故で亡くなってしまいました。ロータスの工場から出荷されるロータス車には彼の死を悼み、ブラックバッジが導入されました。
WIN
グラハム・ヒルは再びロータスにコンストラクターズとドライバーズ・チャンピオンをもたらしました。
DOUBLE FIRST
この年、ビジネス面にも熱心なチャップマンはF1シーンに初めて商業的なスポンサーシップを導入しました。Type49は「ゴールドリーフ」のパッケージにちなんだ赤、白、金のカラーリングでデビューしました。
また49はF1で初めてエアロウィングを使用した車です。
また、ロータスはS2ヨーロッパを発売しました。
1969 THE SEVEN S4
新しいセブンS4の生産が始まりました。以前のセブンから大きく変化したS4は、新規のディーラーネットワークを通して幅広い客層に販売することを考慮して設計された車です。セブンS4はType60で、シャーシはチューブ状のスチールにスチールの両端を溶接して形成されていました。
イギリスでヨーロッパが成功したことを受けてチャップマンはアメリカでの販売を決めますが、そのためには車を連邦規格に合わせる必要がありました。
FIRST
Type63は、F1で最初にくさび型のフロントを採用した車となりました。